2003年11月29日土曜日
イラク日本人外交官射殺事件(イラクにほんじんがいこうかんしゃさつじけん)は、2003年11月29日、イラクへ派遣されていた日本人外交官2人が、バグダード北西140kmに位置するティクリート近郊にて、日本大使館の車両で移動中、何者かに射殺された事件である。2020年現在も犯人逮捕には至っておらず、未解決事件となっている。
概要
2003年11月29日、午前11時(現地時間)、イラク北部、バグダード北西140kmに位置するティクリート南郊で、奥克彦・駐英参事官と井ノ上正盛・駐イラク三等書記官、それにイラク人の運転手が乗った車両(トヨタ・ランドクルーザー)に、後ろから追いついてきた車が銃を発砲。
その後、3人が乗る車は30メートルほど先の農地へ突っ込んだ。
近くの店の主人が、車が突っ込んだのに気づき、警察へと通報した。
警察が約1時間後に現場に到着した際には、左ハンドルの車の運転席にいたイラク人運転手と、前方右の座席にいた井ノ上書記官はすでに死亡していた。
後部座席にいた奥参事官は、意識はないもののまだ息があり、ティクリートの病院で救命措置を受けたが、午後2時前に死亡した。
イラク戦争が終戦後、初めての日本人犠牲者であった。
銃弾の鑑定の結果、使用された銃は口径7.62mmで右回り4条の腔線を有する、といった点が明らかにされている。
政府(福田康夫官房長官(当時))は、弾丸の痕跡が車の左側に集中していること[3]、金銭などが奪われていないことからみて、「テロの可能性が高い」とし、テロリストによる犯行であるとの見方を示した[4]。イラク暫定内閣のフーシュヤール・ズィバーリ外相は、事件の犯人が旧フセイン政権時代の諜報機関、総合諜報局の残党による犯行と断定した[5]。
疑惑
この事件については、事件発生時の状況、ならびに事件発生後の日・米政府の不可解な対応に関連して、謀殺を疑う様々な議論がある。
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