チ-37号事件

1961年12月07日木曜日〜
チ-37号事件(チ-37ごうじけん)とは、1961年に秋田県秋田市にて発生した偽札事件である。
1973年11月に公訴時効が成立し、未解決事件となっている。

概要
1961年(昭和36年)12月7日、秋田県秋田市にある日本銀行秋田支店で、廃棄処分にされる紙幣の中から偽千円札が発見された。
これ以降1963年(昭和38年)まで、22都道府県から合計343枚発見された。
警察は「チ-37号事件」と命名した(「チ」は紙幣偽造事件において千円札を意味する警察のコードで、「37」は37番目の千円札の偽札事件であることを意味する)。
最初に偽札が発見されたのは秋田市で、日本銀行秋田支店で1961年12月7日に廃札係に回された、廃棄処分される予定の紙幣から偽札が発見された。
偽札は本物に比べて紙の厚さや手触りに違いがあったが、あくまで本物と比較した場合に「辛うじて判別できる程度」の細微な違いであり、偽札だけを手に取っても、まず判別は不可能であるほどの精巧な作りであったという。
警視庁捜査第三課が捜査するも、チ-37号は巧妙化していった。
初めは通し番号が「WR789012T」と連続した数字で、数字の配列が右下がりになっていたことが新聞で報道されると、翌1962年春に発見されたものは数字が「DF904371C」となった上、数字の配列が真っすぐになるなど、より偽札の精度が高いものになっていった。
また、肖像の目尻が本物より下がっていると指摘を受けると、それも修正した。
警察庁は、地方紙だけに情報を載せることによって、犯人の居場所を特定しようとしたが、犯人はどんな小さな記事も見逃さず、偽札に改良を加えていった。

偽札を使った「犯人らしき人物」は、何度か目撃されている。
1962年(昭和37年)9月10日、千葉県佐倉市の駄菓子屋で、偽の1000円札を使用してチューインガム100円を購入して、つり銭を受け取った男性が目撃された。
男性は年齢は35~36歳、白いハンチング帽を被り、体は小柄だがガッシリしており、顔は黒かった。

1963年(昭和38年)3月5日、静岡県清水市(現・静岡市清水区)の青果店で、偽の1000円札を使用して100円のミカンを購入して、つり銭を受け取った男性が目撃された。
男性は年齢は30歳くらい、背丈は155センチくらい、丸顔であった。

1963年(昭和38年)3月6日、静岡県静岡市の青果店で、偽の1000円札を使用して30円の干し椎茸を購入して、つり銭を受け取った男性が目撃された。
男性は年齢は30代、黒いハンチング帽を被り、黒縁メガネをかけ、丸顔であった。

佐倉市の目撃証言は、駄菓子屋の主人が片目に障害があったため、人相がはっきりしなかったが、清水市と静岡市の人相に関する目撃証言によって、モンタージュが作成されて公開されたが、検挙には至らなかった。

1963年(昭和38年)11月1日より、肖像を聖徳太子から伊藤博文に変更した新千円紙幣(C号券)を発行された。
そして11月4日に偽札が発見されたのを最後に、チ-37号と呼ばれる偽札が出てくることはなくなった。

1973年(昭和48年)11月4日に公訴時効が成立して、捜査打ち切りで迷宮入りとなった。
チ-37号は「日本の偽札史上、最高の芸術品」といわれている。

対応
1962年9月6日、警視庁は、偽千円札を届け出た者に対して1枚につき3000円の謝礼、犯人に繋がる重要な情報を提供した者には1万円から100万円の謝礼を出すことを決定した。
銀行協会も犯人への有力情報に100万円の懸賞金を出すことを発表した。
事件や警視庁の対応は当時の小学生にも知れ渡り、「Aさんが300円の品物を千円札で買ったところ、2700円のお釣りが返ってきた。それはなぜか」という内容のクイズが流行した。
これは漫画「三丁目の夕日」でも描かれている。

1963年11月1日、紙幣の信頼維持のため、肖像を聖徳太子から伊藤博文に変更した新千円紙幣(C号券)を発行した。

1970年の日本万国博覧会(大阪万博)の年に、松下電器(現・パナソニック)と毎日新聞により企画、製作されたタイムカプセルにも、大阪府警察本部から提供された本事件の偽千円札が納められている。



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