千葉・福島・岩手誘拐殺人事件

1986年07月〜
警察庁広域重要指定118号事件(けいさつちょうこういきじゅうようしてい118ごうじけん)とは、1991年に発覚した誘拐と監禁および強盗殺人事件で2人が殺害された。
別名を千葉・福島・岩手誘拐殺人事件ともいう。8人が逮捕され、3人が死刑判決を受けたが死刑が執行されないまま3人全員が病死した異例の結末となった。

事件の概要

第一の事件
1986年7月に、岩手県盛岡市の金融業者(当時41歳)から、現金37万5000円を奪い、被害者を岩手郡岩手郡雫石町の山林に生き埋めにして殺害した。

第二の事件
1989年7月20日、福島県郡山市の塗装会社社長(当時48歳)を取引を装って呼び出して1700万円を強奪し、殺害して福島県耶麻郡猪苗代町の山林に埋めた。

第三の事件
1991年5月1日、千葉県市原市の塗装業者(当時53歳)を誘拐し、身代金2000万円を強奪した。
この時の被害者は殺害されず栃木県宇都宮市で2日後に解放された。
この事件の被疑者として実行犯3人が逮捕されたが、最終的には主犯格の元岩手県警察巡査のO(逮捕時38歳)ら犯人ら6人が逮捕され、事件の全貌が判明した。

裁判

事件は元警察官Oと、塗装工S(逮捕時50歳)・土建業者K(逮捕時48歳)と、土木作業員のD・E(K・Dは兄弟)と元運転手F・塗装工Gの以上7人(被害者が殺害されず解放された千葉事件のみに加担した塗装工Hがおり、このHを含めると8人)によって実行されていた。

金目的で無抵抗の被害者を生き埋めにするなど極めて残忍な犯行・2人を殺害した結果の重大性から公判当初から死刑適用が予想された一方、公判では被告人らが「自分は主犯ではない」とそれぞれ主張し、弁護人は死刑制度の問題点を指摘して死刑回避を訴えた。
福島地方検察庁は「凶悪な犯行」として2人の犠牲者(被害者3人)の当事件に関して被告人5人に死刑、1人に無期懲役を求刑した。

第一審・福島地方裁判所は1995年1月27日に開かれた判決公判で、被告人6人のうちO・S・Kの3被告人に死刑判決、D・E・Fの3被告人に無期懲役判決をそれぞれ言い渡した。
被告人3人に同時に死刑判決が言い渡されたのは1965年・千葉地裁(強盗殺人罪で被告人3人に死刑判決)以来で、仙台高等裁判所も1998年3月17日に同様の判決を言い渡した。

最高裁判所は2003年(平成15年)12月17日までにO・S・Kの3被告人に関して「2004年4月22日に上告審口頭弁論公判を開廷する」と関係者に通知した。

2004年(平成16年)6月25日、最高裁判所第二小法廷(北川弘治裁判長)は第一審・控訴審でO・S・Kの3被告人に言い渡された死刑判決を支持して3被告人・弁護人側の上告を棄却する判決を言い渡したため、被告人3人の死刑判決が確定した。

無期懲役判決を受けた被告人3人のうちD・E両被告人はそのまま上告せずに控訴審で確定。被告人Fも2003年に最高裁で上告を棄却され確定。
被告人Gは第一審の途中で病死。
千葉事件のみに加担した被告人Hは1991年9月末に千葉地方裁判所で懲役6年を言い渡され、やがて確定。

判決確定後

死刑囚Sは福島地裁に再審請求を行ったが、2012年1月には福島地裁、2012年12月には仙台高裁とも請求を退けた。
Sが72歳となった2013年2月、最高裁第3小法廷も再審請求を棄却した。2013年8月14日夜、死刑囚Sは収監先の宮城刑務所仙台拘置支所医務棟で急性肺炎により病死した。

死刑囚Kは東京拘置所に移送されたが、2010年12月、胆管癌と診断されたため医療施設のある宮城刑務所仙台拘置支所医務棟に移送され、2011年1月29日、拘置支所外の一般病院で病死した。

死刑囚Oも2008年10月、福島地裁に再審請求、同年東京拘置所に移送されたが、2014年6月26日未明、誤嚥性肺炎による急性呼吸器不全のため同所で病死した。
これにより本事件の死刑確定囚3人は全員死刑を執行されぬまま病死するという結末となった。

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