宮代事件

1980年03月21日金曜日
宮代事件(みやしろじけん)とは1980年(昭和55年)3月21日、埼玉県南埼玉郡宮代町で発生した強盗殺人・放火事件のこと。
宮代町母子殺人放火事件などとも呼ばれる。
犯人とされた兄弟のうち、兄は死刑、弟は無期懲役が確定した。



事件概要

1980年3月21日未明、宮代町内の民家から出火しているのを近隣住民が発見し、消火したが、2階から家主の妻(当時51歳)と大学生の長男(当時22歳)の遺体が発見された。
2人は絞殺されており、殺人・放火事件として杉戸警察署に捜査本部が設置された。

4月20日、栃木県警は3月31日に栃木県日光市で発生した強盗傷害事件で、兄弟(兄は当時23歳、弟は同20歳)を逮捕した。
手口が似ていたことから、埼玉県警は栃木に捜査員を派遣し、兄弟を宮代事件で事情聴取した。
やがて兄弟は犯行を認め、5月20日、強盗殺人と放火の容疑で逮捕された。
兄と被害者の長男はバイト先の同僚で、長男がバイト代を貯金していることを知っており、その金を狙ったという。
深夜、被害者宅に侵入して物色していたが、妻に気付かれて殺害。
さらに、長男が帰宅したため、長男も殺害し、手提げ金庫を奪った後、証拠隠滅のために放火した。
近隣住民が気付いたため、火はすぐに消し止められた。
逮捕後、兄弟は再び否認に転じ、6月11日、証拠不十分で不起訴となったが、30日になって改めて起訴された。
兄弟は宮代事件のほか、強盗致傷・窃盗など6件で起訴されたが、殺人放火事件については公判でも一貫して否認した。

1985年(昭和60年)9月26日、浦和地裁(現:さいたま地裁)は求刑通り、兄に死刑、弟に無期懲役判決。
両名とも控訴。

1992年(平成4年)7月29日、東京高裁は兄弟の控訴を棄却。
両名とも上告したが、弟は取り下げて無期懲役が確定。

1998年(平成10年)10月8日、最高裁は兄の上告を棄却。
兄の死刑が確定した。

2019年現在、兄は東京拘置所に収監されている。


冤罪説
以下のことから、現在でも冤罪説が囁かれ、兄は再審請求中である。

別居中だった被害者の夫(当時52歳)が兄弟より前に犯行を自供している。
警察が兄弟の母親に対し、強引な事情聴取を行った。
警察が兄のアリバイを証言した女性に対し、強引な事情聴取を行い、女性が失踪するに至った。
兄弟によれば、取り調べの際、警察官から脅迫まがいの言動を受けた。「わからず屋に何を言っても無駄だ」と思い、自供に至った。
裁判官なら真相を見抜いてくれると思ったとのことである。
首の索状痕と自白が一致しない。
自白の放火方法と現場の状況が一致しない。
金品を物色した形跡がない。
格闘の形跡がない。
現場から持ち出したという手提げ金庫は発見されていない。
被告人に発見された記念硬貨が盗品とされているが、多数発行されたもので証拠とはいえない。

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