2008年07月01日火曜日
岩手17歳女性殺害事件は、2008年7月1日に発生した殺人事件。元警視庁警察官でジャーナリストの黒木昭雄は冤罪疑惑のある事件としている。
概要
2008年7月1日午後4時半ごろ、岩手県下閉伊郡川井村(現:宮古市)の河川で17歳女性(S・K①)の他殺体が道路工事作業員に発見された。
司法解剖の結果、死亡推定時刻は6月30日から7月1日であり、死因は頭部の外傷か首の圧迫とみられ、首を絞められ瀕死の状態となった後に橋から突き落とされた可能性が高いとみられる。
事件直前の6月28日、被害女性(S・K①)を電話で呼び出していた、被害女性S・K①の知人の男性O(当時28歳)が7月2日午前10時頃に知人へ「断崖からの飛び降り」を示唆する電話をかけた。
翌7月3日に断崖現場から男性Oが所持していた財布や煙草などの遺留品が発見されたが、遺体は発見されなかったため、偽装自殺と判断された。
2008年7月29日、警察は男性Oを女性(S・K①)の殺人容疑で全国に指名手配した。
事件の直後、自損事故を起こして放置された男性Oの車の中から見つかった血痕や遺留品の鑑定などから、警察は男性Oを女性(S・K①)を殺害した犯人と断定し、公開手配した。
10月31日、事件は捜査特別報奨金制度に指定された。
事件から2年後となる2010年6月30日、指名手配されている容疑者男性Oの父親は、国や岩手県に対して、指名手配の差し止めと損害賠償を求める訴訟を起こしたが、2014年4月11日盛岡地裁は請求を棄却した。
原告O側は控訴せず、決定は確定した。
請求自体は棄却されたものの、盛岡地裁は指名手配のポスター等でOが「犯人」とする表記そのものについて「無罪推定に反する」と認定した。
指名手配されたOの情報
警察庁は報奨金300万円の捜査特別報奨金制度を告知している。
生年月日:1979年11月16日
身長:170cm位
体格:中肉
冤罪疑惑
ジャーナリストの黒木昭雄は、男性Oを「被害女性(S・K①)の殺人犯」と断定した岩手県警察に疑念を抱き、この事件について独自の調査をしていた。
その後、黒木は練炭自殺により死亡した。
男性Aの男性Oに対する脅迫事件
2006年10月頃に男性Oは、東北地方沿岸部に住む男性A(当時30歳代)の紹介で、関東地方にある就職先を斡旋してもらったが、男性Oは数日で仕事場から逃亡した。
2007年5月1日夕方、男性Oは、男性Aから、紹介された就職先のメンツを潰されたという理由で迷惑料を要求された。
男性Aは男性Oに日本刀を咥えさせ、「迷惑料が払えないなら、指を置いていけ」と指詰めを示唆する言動で脅し、男性Oを債務者、男性Aを債権者とする120万円の借用書を書かせた。
この際、男性Oは、男性Oと交際中であった女性(S・K②)(1年3ヶ月後に発生する殺人事件の被害女性(S・K①)と同姓同名で高校時代の同級生)を保証人とした120万円の支払いを約束させられ、女性(S・K)の名前と携帯番号をその場で書かされた。
しかし、男性Oは120万を払わずに男性Aから逃亡した。
男性Aは、携帯サイトに男性Oの実名と身体特徴と顔写真を添付するとともに、「金を払わず逃げ回っているとんでもないやつ」という旨の書き込みを同サイトに書き込んだ(携帯サイトは、殺人事件から間もない2008年7月15日付けで閉鎖された)。
2008年6月3日、男性Oは、男性Aを被疑者とする恐喝事件の被害届を提出した。
殺人事件が起こる2日前の6月28日昼過ぎ以降、男性Oは被害届の取り下げようとした(被害届自体は、最終的に取り下げとなっていない)。
2日後、殺害当日の6月30日午後10時30分頃、男性Aは、携帯番号を知っていた男性Oと交際中の女性(S・K②)を呼び出した。
翌日の7月1日に、女性(S・K①)が他殺体で発見された。
男性Aは、恐喝事件について、自分は日本刀を所持しておらず、指詰めも迫っていないと恐喝を否定した。
また、借用書に書かせた金額は120万円ではなく10万円であり、ネットへの書き込みは自分が思うことを書き込んだだけと主張した。
男性Oの親族による、男性Oの指名手配に対する訴訟
男性Oの親族は「男性Oが殺人犯と断定されて公開手配されたことに納得ができない」として、人権救済の申し立てを起こした。
一方、男性Oは、小指と薬指にケガをしたとして、殺害事件2日前の6月29日夜7時頃に病院を診察のため訪れており、病院では「右手の握力が無く右手全体が動かない状態」だと診断されていた。
そのため男性Oは、診断の2日後となる殺害当日に被害女性(S・K①)の首を絞め、一人で遺体を投げ捨てることは不可能と主張した。

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